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崇禅寺は明智氏(土岐明智氏)の初代である彦九郎頼重が、1354年に果山正位を開山として創建された寺院です。 果山は中国へ留学するなど熱心に禅宗を学びました。帰国後虎渓山永保寺の三世となりました。永保寺塔頭の保寿院、永明寺(多治見市市之倉)の開山でもあります。
古文書・記録類などの史料が現存せず、江戸時代以前の崇禅寺についてはよく分かっていませんが、江戸時代には、妻木家頼が1618年 清岩宗源を中興として招き寺領69石を寄贈しました。境内には領主及び奥方の菩提を弔う塔頭が八ヶ寺ありました。しかし1658年 妻木家頼の孫・頼次の急死により妻木本家は断絶しましたが、寺領69石は存続し妻木村分からの31石を合わせ100石の寺領を維持していました。
妻木家の墓所
妻木家の墓所には二代権左衛門頼利(1653没)と三代妻木藤右衛門頼次(1658年没)及びその奥方のお墓があります。特に頼利の石碑は高さ2m45cm.幅78cmと大型で、参勤交代の格式もつ旗本妻木家の偉容を誇る規模のものです。
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